今回のスキー選手名鑑は2015年に引退したアメリカのボディ・ミラーについてです。多分、アルペンスキー史上、「最も真っ直ぐ攻めるタイプで実績を出した選手」でないかと思います。
Bode Millerプロフィール
- 生年月日:1977年10月12日
- 出身地:アメリカ・ニューハンプシャー州 イーストン
- W杯表彰台回数:優勝:33回/3位以内:79
- W杯参戦数:438
- 現在は自身のブランド、ピークスキーの開発に携わっています。
ボディ・ミラーの写真



ボディ・ミラーとは?

いつも「引退」を口にしていた時期もあり、破天荒なイメージを作り上げていたボディ・ミラー。
当初はアトミックで戦っていましたが、HEADの強烈な囲い込みが彼の全盛期から始まり、2006年春にヘッドと契約。
その後、2015年の引退直前までヘッドを使用していました。
が、ヘッドとの契約中、W杯に出ていない時にW杯の前走でボンバースキーを履いたりなどヘッドとの終わり方が後味の悪い結果となりました。(というか本当は事前に説明していたのかも・・・)
また、彼はオールラウンダーでずっと戦ってきましたが、2012年頃から高速系に絞る戦略に切り替えています。
なぜ技術系を辞めたのか。
その話は次のテクニックの話で書きたいと思います。
実際のリザルトを見ればよくわかります。
完走すれば速いボディ・ミラー。が通用しなくなった時代。そしてアメリカと日本潰し。
スキー業界に日米同盟はないと思いますが、欧州から見ればこの2カ国が活躍するのは多分あまり気持ちの良いものではなかったでしょう。
2002年のソルトレイクシティー冬季五輪から日本人やアメリカ人の活躍が目覚ましかった理由の1つに
「ポールセットが直線的」
という時代があります。
これは2010年のバンクーバーオリンピック頃まで続きます。
間に2006年トリノオリンピックがあるわけですが、
「北米→イタリア→また北米」
という流れが結果的にアメリカを強くしたと言っても不思議ではありません。
当然、スキー連盟が五輪に向けてスポンサー獲得しやすい時期が続いたのではないかと思われます。
その代表格がボディ・ミラーであり、後にリンゼイ・ボン、テッド・リゲティ、そして今のミカエラ・シフリンと続きます。
転機は2010年のバンクーバー五輪と2013年のルール改正
オーストリアが惨敗となったバンクーバーオリンピック。
この頃からポールセットが徐々に変わり、日本人も成績が落ちていきました。
それでも20位、10位台をキープした日本男子アルペンチームでしたが、日本と比例してそれまで強かったボディ・ミラーも技術系種目から撤退することとなります。
アメリカチームが活躍したバンクーバー五輪以降、特にミラーはSLで完走すらできず、2014年の最後に出場したスイス・レンツェルハイド最終戦までスラロームはたった2回だけ完走したという成績でした。
R35にリゲティはいち早く対応し連勝するようになりましたが、ミラーは時代についていけないことはニューヨークタイムスの動画からもよくわかります。(再生後1分30秒から)
振ったポールセットが増え、それまでカービングで滑ってきた選手はR35になると板が少し90年台のようなまっすぐな形状となり、用具よりも技術のある選手の方が有利になるという現象が起きました。
要は2010年頃までは用具に頼る部分が大きかったとも言えます。
上記の映像はミラーはスライドしながら、いわゆる昔ながらの「ズラしスキーテクニック」でポールに入っていくのがよくわかるのですが、リゲティは遠心力を利用し、深い内傾角を作り、スキー板をずらさないでターンしていくことに成功したわけです。
もちろん、セットによってはミラーのようなテクニックも使うわけですが、あくまでもオプションテクニックです。
日本の湯浅直樹選手も2017年頃から復活した際も、直線的な滑りを捨てた(昔の滑り方)とどこかの動画で語っていたので、バンクーバー五輪以降、徐々にラインがまっすぐという滑りが通用しなくなったわけです。
ミラーが高速系に転向
高速系は昔から特にルール改正があるわけでもなく、とにかくまっすぐに滑って猛スピードでゴールまで行けば良いという単純な部分があります。むしろ、技術と同じくらい度胸の方が試される種目でもあります。
最後に滑った2015年アルペンスキー世界選手権も復帰してほぼぶっつけ本番。
男子滑降は途中までラップでしたので、いかに彼の滑りは「真っ直ぐに強い」かがよくわかります。
この最後の滑りで途中大転倒し、大怪我。ワンピースが裂け、あとはご想像にお任せしますというような写真もありました。
ボディ・ミラーの滑り方の特徴。メリットとデメリットを解説
記事冒頭で「ミラーは最もまっすぐな滑りで成功した選手」と書きました。
これを具体的に説明すると